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ファミコン分析スペースインベーダースペースインベーダーに残っている話
残っている話

スペースインベーダーに残っている話

日本語版・英語版ウィキペディアの記事から、このゲームタイトルについて書かれた文を型ごとに集めました(2026年8月30日時点)。

数の話(12件)

本作は日本のアーケード史上最大のヒット作であり、タイトーによる純正品が約10万台、許諾先メーカーからのものが約10万台、許諾なしのコピー品が約30万台出荷されたと推定されており、ブームとなった1年半足らずの間に計50万台が日本中に出回った。

約30万台と言われる売上を記録したことでタイトー自体の生産が追いつかなかった。

その後名称は、1979年6月に日本国内初のゲーム攻略本『インベーダー攻略法―これであなたも10000点プレイヤー』(ヘラルド出版)の発売を契機に統一されたとされる。

インカムは1日で2万円から3万円に及び、筐体価格の46万円がすぐに回収できるため、タイトーに注文が殺到した。

当時タイトー新入社員のボーナスが100万円だったという都市伝説があるが、当時はゲーム開発者への報奨金は確立されておらず、開発者の西角は社長賞として約10万円を表彰台で貰っただけだったという。

その後、同社は「TV JACK スーパービジョン8000」を発売した際、専用ソフト「ミサイルベーダー」を同梱するも、今度は59800円という高い価格設定だったため売れ行きは今一つだった。

さらに特装版には西角友宏が開発に関わったが本作とは直接関係は無いアーケードゲーム2作『スペースサイクロン』・『ルナレスキュー』も収録されている。

アーケードアーカイブスの1作品として、2025年12月25日に『スペースインベーダー』を、2026年1月1日に『スペースインベーダー・パート2』を各ハードにて配信。

アーケード版はゲーメストムック『ザ・ベストゲーム』(1991年)において、『ゲーメスト』読者による全アーケードゲームを対象とした人気投票で第40位を獲得した。

敵が14列で、UFOが画面上部を常に往復していて5発で破壊され(得点は、1発当てるごとに10→20→30→40→破壊され50点、あるいは5発目で破壊され200点)、タイトー版とは最も違いがある。

日本語版ウィキペディア「スペースインベーダー」の「スペースインベーダー亜流のもの」より

西角が2019年のインタビューで語ったところによると、タイトーのみで10作品がインベーダー基板の流用だという。

日本語版ウィキペディア「スペースインベーダー」の「スペースインベーダー基板を流用したもの」より

1979年5月時点で12万枚を売り上げた。

中止と回収(4件)

社内的には『ブルーシャーク』を積極的に営業展開し、『スペースインベーダー』の方は当初はタイトー直営のゲームセンターにしか置かれず、「置いておけば、投資した分が回収できるか」といった程度にしか期待されていなかった。

日本語版ウィキペディア「スペースインベーダー」の「バグ修正、製品名の修正、ゲームバランス調整」より

インカムは1日で2万円から3万円に及び、筐体価格の46万円がすぐに回収できるため、タイトーに注文が殺到した。

このうちバンダイは1979年6月の玩具見本市で「TV JACK アドオン5000」用ソフトとしてインベーダーゲームを発表したが、諸事情によりお蔵入りとなった。

日本版より4年遅れた94年に発売された海外版はスーパーゲームボーイに対応しており、起動すると専用カラーとピクチャーフレームが割り当てられた「SUPER GAME BOY」モードと、当時海外では未発売だったスーパーファミコン版から対戦要素を除いた「ARCADE」モードを選択してプレイできるようになる。

初と唯一(3件)

その後名称は、1979年6月に日本国内初のゲーム攻略本『インベーダー攻略法―これであなたも10000点プレイヤー』(ヘラルド出版)の発売を契機に統一されたとされる。

生産が追い付かなくなったことから、日本で初めてライセンス許諾を他メーカーに与えた。

販売当初の価格は最盛期には数百万円に跳ね上がっても売れていったという。

当初は違った(3件)

当初はシングルコーンの安いスピーカーを用いていたが、移動音の音圧によって壊れてしまったため、すぐさま保守要員総出で出荷済みの分を溝の大きいダブルコーンに差し替えられた。

社内的には『ブルーシャーク』を積極的に営業展開し、『スペースインベーダー』の方は当初はタイトー直営のゲームセンターにしか置かれず、「置いておけば、投資した分が回収できるか」といった程度にしか期待されていなかった。

日本語版ウィキペディア「スペースインベーダー」の「バグ修正、製品名の修正、ゲームバランス調整」より

タイトーも『ギャラクシアン』に匹敵する基板を既に開発していたが、『インベーダー』基板が大量に残り、廃棄するのも無理があったので、営業部門の上層部から、『インベーダー』基板のROMだけ差し替え、別のゲームを作ることを命じられた。

日本語版ウィキペディア「スペースインベーダー」の「スペースインベーダー基板を流用したもの」より

評判(2件)

本作は日本のアーケード史上最大のヒット作であり、タイトーによる純正品が約10万台、許諾先メーカーからのものが約10万台、許諾なしのコピー品が約30万台出荷されたと推定されており、ブームとなった1年半足らずの間に計50万台が日本中に出回った。

開発当時、アタリ社の『ブレイクアウト』を日本に持ってきた『ブロックくずし』が、ゲームセンターや喫茶店などで人気を博していた。

日本語版ウィキペディア「スペースインベーダー」の「ゲームコンセプト、着想」より

人の話(2件)

開発者の西角は「名古屋撃ち」という攻略法があることを知った当時「ショックだった」と語っている。

一方で開発部門を中心とする若い社員には好評であり、西角は改造を拒否した(『新・電子立国』4、『未来創造堂』で西角が証言)。

日本語版ウィキペディア「スペースインベーダー」の「バグ修正、製品名の修正、ゲームバランス調整」より

揉め事(2件)

なおブームの影響で、娯楽施設利用税が課されているパチンコ業界において、TVゲームにも法規制が必要とする案が1979年2月16日に全国遊技業協同組合の北陸3県の理事から、同組合宛てに提出された。

日本語版ウィキペディア「スペースインベーダー」の「社会問題化およびブームの終焉」より

別述の『コスミックモンスター』がタイトーと裁判になった為、和解に伴う見返りとしてタイトーにもライセンスされた。

日本語版ウィキペディア「スペースインベーダー」の「スペースインベーダーの影響を受けたゲーム」より

バグと裏技(1件)

しかし初期バージョンの社内評価は芳しくなく、途中で面クリアできなくなるといったバグも残っていたため、(販売予定日前の)2ヶ月ほどかけて修正を行い、その際のバランス調整によって、ゲーム性が大きく向上した。

日本語版ウィキペディア「スペースインベーダー」の「バグ修正、製品名の修正、ゲームバランス調整」より

海外との違い(1件)

日本版より4年遅れた94年に発売された海外版はスーパーゲームボーイに対応しており、起動すると専用カラーとピクチャーフレームが割り当てられた「SUPER GAME BOY」モードと、当時海外では未発売だったスーパーファミコン版から対戦要素を除いた「ARCADE」モードを選択してプレイできるようになる。

このページに引いた文は、ウィキペディア日本語版・英語版の記事からそのまま取ったものです。クリエイティブ・コモンズ 表示-継承 4.0 国際(CC BY-SA 4.0)の条件で使えます。書いた人たちの著作物です。

出典:独立行政法人国立美術館国立アートリサーチセンター「メディア芸術データベース」(https://mediaarts-db.artmuseums.go.jp/)を加工して作成
出典:ウィキペディア日本語版・英語版、ウィキデータ
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