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残っている話

ドラゴンクエストに残っている話

日本語版・英語版ウィキペディアの記事から、このゲームタイトルについて書かれた文を型ごとに集めました(2026年8月30日時点)。

人の話(19件)

福嶋氏は、会社に人材を集めるため、「エニックス・ゲーム・ホビープログラムコンテスト」を開催しました。

今回は中村氏が、「漫画のようで、創意に富んだ応募作」である『ドアドア』で優勝しました。『ドアドア』は、エニックスがNES向けに出した最初の作品になりました。

同氏はすでに、テレビ番組や歌謡曲を手がける作曲家として知られていました。送られてきた感想を目にしたエニックスのプロデューサー千田幸信氏は、本人に連絡を取ります。そして、「テレビのあのすぎやま」であることを確かめました。

(英語)英語版ウィキペディア「Dragon Quest (video game)」の「Japanese development」より

同氏によると、最初の序曲を書き上げるのにかかった時間は5分でした。短いジングルに自分らしさを出すのは難しかったものの、テレビコマーシャルの音楽を作ってきた経験が生きたと述べています。

(英語)英語版ウィキペディア「Dragon Quest (video game)」の「Japanese development」より

1989年6月、『Electronic Gaming Monthly』の「クォーターマン」は、北米のクリスマス商戦で任天堂の「目玉」になるのは『Dragon Warrior』だろうと予想しました。根拠は、日本での『ドラゴンクエスト』シリーズ、とりわけ『ドラゴンクエストIII』の人気の高さです。

サウンドトラックは8曲で構成されており、RPGFanはこの8曲を「すぎやまのキャリアの土台」と呼びました。

「8つの旋律」で組み立てるこのやり方は、以後に出たRPGのサウンドトラックの型になりました。同じ組み立て方をとった作品は、数百に上ります。

鳥山氏の絵とすぎやま氏の音楽は、多くの人に好まれました。書籍『Power-Up: How Japanese Video Games Gave the World an Extra Life』は、すぎやま氏の音楽を「それまでのどんなゲーム音楽よりも豊かで、心を躍らせるものだった」と評しています。

1989年の『ファミコン通信』(ファミ通)「オールソフトカタログ」号が、史上最高のゲームの一覧を載せました。『ドラゴンクエスト』はその一覧に選ばれ、ベストRPGとベストキャラクターデザインを受賞しました。ただし、史上最高のゲームを決めるグランプリは『ドラゴンクエストIII』に譲っています。

クリス・コーラー氏によると、任天堂はこの無料配布で大きな利益を得ました。『Nintendo Power』は「実質、任天堂製品の100ページの月刊広告」であり、同誌が数千の家庭に入ったからです。

「Nintendo Power賞1989」では、本作が「最優秀テーマ・面白さ」と「総合最優秀」の候補になりました。ただし、どちらの部門でも受賞は逃しています。

『ドラゴンクエストIII』の発売を待つ日本の若者が、逮捕される出来事がありました。この件を受けて、『Electronic Gaming Monthly』のクォーターマン氏は、本作を「まったく特別ではない」と評しました。そのうえで本作をNES版『Ultima III: Exodus』と比べ、読者には『Ultima III: Exodus』のほうを勧めています。

『Nintendo Power』は、本作の最大の価値は歴史的な意義にあるとしたうえで、こう書いています。「いま『Dragon Warrior』を遊ぶのは、少し骨が折れる」

同氏は本作の単調な繰り返しを批判しました。ただし本作は短く、繰り返しが気になる前にたいていのプレイヤーは終えられるはずだ、とも述べています。

『Gamasutra』のカート・カラタ氏も、交響組曲の旋律を高く評価しました。「フィールドの曲は……かなり単純で耳障りだが、生のオーケストラで演奏されると実に美しく響く」

批評家たちは、北米での人気と注目度から『ファイナルファンタジー』のほうが重要だとみなされてきた、と指摘しました。ただし、『ファイナルファンタジー』が土台にした基本を築いたのは『Dragon Warrior』のほうだ、というのが批評家たちの見方です。

『Nintendo Power』2010年11月号は、北米でのNES発売25周年を祝う特集を組みました。そのなかで堀井氏が、『Dragon Warrior』の制作を振り返っています。

堀井氏はRPGの基本的な仕組みを好み、操作画面を簡単にしたいと考えていました。当時のほかの多くのRPGの操作画面は「複雑すぎて、初めての人を怖がらせていた」と語っています。

同氏によると、『ドラゴンクエスト』は遊び方を簡単にしたことで、多くの人の心をつかみました。この分かりやすさが、シリーズの成功につながったと述べています。

数の話(15件)

後に発売される『ドラゴンクエストII 悪霊の神々』『ドラゴンクエストIII そして伝説へ…』は、本作との関連が深く、この3作は合わせて「ロトシリーズ」と呼ばれる。

FC版発売から7年後の1993年に『ドラゴンクエストII』と合わせて1本のソフト『ドラゴンクエストI・II』として発売され、便宜上用いられていた「ドラゴンクエストI」の呼称が正式に使用されることとなった。

その発売日から1年近くの2025年10月30日(Steamは同年10月31日)に『ドラゴンクエストII』と合わせて1本のソフト『ドラゴンクエストI・II』としてNintendo SwitchおよびNintendo Switch 2、PlayStation 5、XBOX SIRIES X|S、Windowsで発売。

ゲーム誌『ファミリーコンピュータMagazine』の読者投票による「ゲーム通信簿」での評価は別記の通り25.02点(満30点)となっている。

また、同雑誌1991年5月10日号特別付録の「ファミコンロムカセット オールカタログ」では、「RPGをメジャーにした1作」と本作を位置付けており、「ドラゴンクエスト、この名前を聞いたことのない人はおそらくお年寄りぐらいのものでしょう」と知名度の高さを指摘したほか、社会現象として取り扱われたことや一大ブームを巻き起こしたことを指摘した。

日本では、120万本を超える売り上げを記録しました。

(英語)英語版ウィキペディア「Dragon Quest (video game)」の「Re-releases and remakes」より

日本では、最初の版が150万本売れました。

本作はアメリカで約50万本を売り上げ、1989年に北米で発売されたゲームのなかで3番目に売れた作品となりました。上位は任天堂の『テトリス』と『スーパーマリオランド』です。

『ドラゴンクエスト』は世界全体で、合わせて200万本を超える売り上げとなりました。

スーパーファミコン向けに作り直された『ドラゴンクエストI・II』は、日本で120万本を売り上げました。

『GameSpot』は本作に10点満点中9.6点を付けました。音質が大きく良くなった点と、2作を続けて遊べる魅力を挙げています。『GameRankings』での総合点は82%です。

スーパーファミコン版とゲームボーイカラー(GBC)版の作り直しを合わせると、世界で194万本を超える売り上げになりました。

2008年8月26日から9月1日までの週、第7巻は日本で9位に入り、5万9540部を売り上げました。

2009年2月24日から3月2日までの週、第8巻は日本で19位に入り、7万6801部を売り上げました。

2009年10月26日から11月1日までの週、第9巻は日本で16位に入りました。この週の売り上げは4万492部で、累計は6万467部です。

初と唯一(10件)

堀井氏が手がけたテニスゲーム『ラブマッチテニス』は、エニックスの最初の発売作となりました。

今回は中村氏が、「漫画のようで、創意に富んだ応募作」である『ドアドア』で優勝しました。『ドアドア』は、エニックスがNES向けに出した最初の作品になりました。

この移植版はエニックスにとって、この機種で2作目の発売作です。また、堀井氏と中村氏が初めて一緒に作った作品でもあります。

『ドラゴンクエスト』の北米版に関する記事が初めて載ったのは、『Nintendo Fun Club News』1987年冬号です。

(英語)英語版ウィキペディア「Dragon Quest (video game)」の「1989 North American localization」より

スクウェア・エニックスは2005年、続編にあたるシリーズ(原文にタイトルなし)の刊行を始めました。最初の4巻は(原文に著者名なし)が書き、後半の5巻は梅村崇氏が書いています。監修は堀井雄二氏、作画は藤原カムイ氏です。

(英語)英語版ウィキペディア「Dragon Quest (video game)」の「Anime and manga」より

1つ目はドラマCDで、エニックスが1991年7月19日に発売しました。語りで物語を進める作りです。

そのうち(原文に数字なし)を超える本数が、最初の6か月で売れました。

1986年の作品を対象に1987年2月に発表された第1回ファミ通ベストヒットゲーム大賞で、『ドラゴンクエスト』は次の賞を受賞しました。ゲーム・オブ・ザ・イヤー、ベストシナリオ・ストーリー、ベストキャラクターデザイン、ベストプログラマー(中村光一氏)、ベストRPGです。

日本での発売から数年後に出た最初の英語版『Dragon Warrior』は、当初、商業的な失敗と見られていました。しかし『Nintendo Power』の定期購読者への無料配布が最後には成功し、エニックスは続く3作を北米へ出せるようになりました。

2016年には、外伝作品『ドラゴンクエストビルダーズ』が、1作目のもう1つの続編として発売されました。

評判(8件)

また、エニックスは1986年5月にロールプレイングゲーム『ドラゴンクエスト』(1986年5月)を発売し、ドラゴンクエストシリーズとして人気を博した。

また、12月には『ドラゴンクエスト』に触発されたスクウェアが『ファイナルファンタジー』を発売し、こちらもファイナルファンタジーシリーズとして人気を博した。

本作はアメリカで約50万本を売り上げ、1989年に北米で発売されたゲームのなかで3番目に売れた作品となりました。上位は任天堂の『テトリス』と『スーパーマリオランド』です。

彼らは、メダル集めを友だちと競い合える良い仕掛けだと評価しました。

『RPGamer』のデレク・カビン氏は、本作をNES版と比べたうえで、5点満点中3点を付けました。すべての面で平均以上だと述べ、とくに見た目の要素を高く評価しています。

同氏は本作の単調な繰り返しを批判しました。ただし本作は短く、繰り返しが気になる前にたいていのプレイヤーは終えられるはずだ、とも述べています。

同氏は、すぎやまこういち氏とオーケストラの仕事ぶりを称えました。原曲の平板さを越えて、平均以上の楽曲に仕立てたからです。

『Gamasutra』のカート・カラタ氏も、交響組曲の旋律を高く評価しました。「フィールドの曲は……かなり単純で耳障りだが、生のオーケストラで演奏されると実に美しく響く」

揉め事(7件)

『ドラゴンクエスト』の北米版に関する記事が初めて載ったのは、『Nintendo Fun Club News』1987年冬号です。

(英語)英語版ウィキペディア「Dragon Quest (video game)」の「1989 North American localization」より

その後、本作は『Nintendo Power』1989年3月号の先行情報欄「Pak Watch」で取り上げられました。同誌は創刊号にあたる1988年7月号でも、『ドラゴンクエストIII』の日本での発売に触れています。

(英語)英語版ウィキペディア「Dragon Quest (video game)」の「1989 North American localization」より

『Nintendo Power』は1989年5月号から10月号にかけて、『Dragon Warrior』の特集記事を3本載せました。1989年11・12月号には攻略記事も付いています。

『Nintendo Power』1990年3・4月号には、ゲーム世界の地図が付きました。裏面は『スーパー魂斗羅』のポスターで、『Dragon Warrior』のテキストアドベンチャーも載っています。

1989年の『ファミコン通信』(ファミ通)「オールソフトカタログ」号が、史上最高のゲームの一覧を載せました。『ドラゴンクエスト』はその一覧に選ばれ、ベストRPGとベストキャラクターデザインを受賞しました。ただし、史上最高のゲームを決めるグランプリは『ドラゴンクエストIII』に譲っています。

同氏は本作の単調な繰り返しを批判しました。ただし本作は短く、繰り返しが気になる前にたいていのプレイヤーは終えられるはずだ、とも述べています。

『Nintendo Power』2010年11月号は、北米でのNES発売25周年を祝う特集を組みました。そのなかで堀井氏が、『Dragon Warrior』の制作を振り返っています。

当初は違った(5件)

レベルが1から2になるのに必要な経験値は開発当初は「20」に設定されていたが、レベルアップの爽快感を味わってもらおうという目的で「7」に引き下げられた経緯がある(このサブセクションの出典として)。

当初は半マス単位での移動など2010年代の感覚では難のある操作性だったが、2014年2月15日のアップデートで1マス単位での移動になるといった改善がされている。

本作は1986年5月に日本で発売され、北米では1989年8月に任天堂が発売しました。

『ポートピア連続殺人事件』は、はじめ日本のNEC PC-6001向けに発売され、1985年にファミコンへ移植されました。

任天堂は英語版から、きわどい笑いと宗教を思わせる表現も取り除きました。

海外との違い(2件)

(原文の冒頭が欠けている)北米向けに最初に出されたときの題名は『Dragon Warrior』でした。チュンソフトが開発し、エニックスがNintendo Entertainment System向けに発売した、1986年のロールプレイングゲームです。

『ドラゴンクエスト』の北米版に関する記事が初めて載ったのは、『Nintendo Fun Club News』1987年冬号です。

(英語)英語版ウィキペディア「Dragon Quest (video game)」の「1989 North American localization」より

中止と回収(2件)

作り直した版の売れ行きが良かったことから、エニックスは2001年、ゲームボーイカラー(GBC)向けに『Dragon Warrior III』を発売しました。土台になったのは、未発売に終わっていた『ドラゴンクエストIII』英語版のスーパーファミコン向け改訂版です。

『Nintendo Power』2010年11月号は、北米でのNES発売25周年を祝う特集を組みました。そのなかで堀井氏が、『Dragon Warrior』の制作を振り返っています。

難しさ(1件)

同氏によると、最初の序曲を書き上げるのにかかった時間は5分でした。短いジングルに自分らしさを出すのは難しかったものの、テレビコマーシャルの音楽を作ってきた経験が生きたと述べています。

(英語)英語版ウィキペディア「Dragon Quest (video game)」の「Japanese development」より

このページに引いた文は、ウィキペディア日本語版・英語版の記事からそのまま取ったものです。クリエイティブ・コモンズ 表示-継承 4.0 国際(CC BY-SA 4.0)の条件で使えます。書いた人たちの著作物です。

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