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ファミコン分析究極タイガー究極タイガーに残っている話
残っている話

究極タイガーに残っている話

日本語版・英語版ウィキペディアの記事から、このゲームタイトルについて書かれた文を型ごとに集めました(2026年8月30日時点)。

数の話(8件)

開発者の1人である上村建也曰く「難しいゲームは長く遊べないからつまらないという意見を真っ向から否定出来る作品」を目指した。

ゲーム誌『ゲーメスト』の企画「第2回ゲーメスト大賞」(1988年度)にて、ベストシューティング賞4位、ピュアシューティング賞(編集部特別賞)を獲得、またゲーメストムック『ザ・ベストゲーム』(1991年)では第42位を獲得した。

ゲーム誌『ゲーメスト』1989年2月号(Vol.29)にて発表された「第2回ゲーメスト大賞」(1988年度)で、読者投票によりベストシューティング賞で4位、年間ヒットゲームで9位、ピュアシューティング賞(編集部特別賞)を獲得している 。

1991年にそれまで稼働されていたアーケードゲーム全てを対象に行われた『ゲーメスト』読者の人気投票によるゲーメストムック『ザ・ベストゲーム』では第42位を獲得した。

ゲーム誌『ファミコン通信』の「クロスレビュー」では8・9・8・8の合計33点(満40点)でゴールド殿堂入りを獲得、『マル勝PCエンジン』では9・8・9・9の合計35点(満40点)、『PC Engine FAN』の読者投票による「ゲーム通信簿」での評価は以下の通りとなっており、24.37点(満30点)となっている。

また、この得点はPCエンジン全ソフトの中で32位(485本中、1993年時点)となっている。

ゲーム誌『ファミコン通信』の「クロスレビュー」では合計22点(満40点)、『ファミリーコンピュータMagazine』の読者投票による「ゲーム通信簿」での評価は以下の通りとなっており、20.17点(満30点)となっている。

ゲーム誌『ファミコン通信』の「クロスレビュー」では合計で21点(満40点)になっている。

初と唯一(6件)

これまでのAC移植版は、ゲーム本編のタイトル画面で描画されるメーカーロゴが原典と異なっていたが、本作では移植版では初めて原典通り「TAITO」名義になっている。

『究極タイガー』は1987年10月、世界各地のアーケードで発売されました。日本とヨーロッパではタイトー、北米ではRomstarが手がけています。

(英語)英語版ウィキペディア「Twin Cobra」の「Release」より

Micronicsが開発したNES版は、まず日本でCBS・ソニーから発売されました。のちに北米ではサミーが発売しています。

(英語)英語版ウィキペディア「Twin Cobra」の「Ports」より

メガドライブ版(北米名Genesis)は、GRCが開発しました。まず日本ではTrecoが発売し、続いて北米ではセガが、Trecoの米国部門からライセンスを受けて発売しています。のちにブラジルではTectoyが発売しました。

(英語)英語版ウィキペディア「Twin Cobra」の「Ports」より

2019年11月、『究極タイガー』はMOBIRIX Corporationにより、日本国内限定でiOSとAndroid向けに『究極タイガークラシック』として配信されました。

(英語)英語版ウィキペディア「Twin Cobra」の「Ports」より

続編の『究極タイガーII』は、もともと東亜プランが開発していましたが、同社は1994年に解散しました。その後タイトーの許可を得て、東亜プランから派生したTakumi Corporationが作業を引き継ぎ、1995年に同社の第1作として世に出します。1997年にはセガサターンへ移植され、『究極タイガーII PLUS』となりました。

(英語)英語版ウィキペディア「Twin Cobra」の「Legacy」より

人の話(3件)

弓削氏によれば、本作の基本の形は『スラップファイト』の開発中にすでに決まっていたといいます。撃つ楽しさと避ける楽しさを突き詰めた末に、ボムとショットの仕組みへ落ち着いたそうです。ボムを撃てば遊ぶ人のうっぷんが晴れる、と弓削氏は語っています。見ているだけで楽しく、夢中になれるゲームにしたかったからです。

(英語)英語版ウィキペディア「Twin Cobra」の「Development」より

弓削氏によれば、協力プレイはもともと作っていませんでした。1人用を仕上げたあとで、追加するよう求められたといいます。海外では2人同時プレイの作品が「大きな流行」になっていたためです。本作は現実の戦争を舞台にしており、アメリカ市場も意識されていました。

(英語)英語版ウィキペディア「Twin Cobra」の「Development」より

上村氏によれば、発売元はタイトーでした。それでも、本作を作ったのが東亜プランであると明かすことを、タイトーは認めてくれたそうです。

(英語)英語版ウィキペディア「Twin Cobra」の「Development」より

当初は違った(2件)

弓削氏によれば、協力プレイはもともと作っていませんでした。1人用を仕上げたあとで、追加するよう求められたといいます。海外では2人同時プレイの作品が「大きな流行」になっていたためです。本作は現実の戦争を舞台にしており、アメリカ市場も意識されていました。

(英語)英語版ウィキペディア「Twin Cobra」の「Development」より

続編の『究極タイガーII』は、もともと東亜プランが開発していましたが、同社は1994年に解散しました。その後タイトーの許可を得て、東亜プランから派生したTakumi Corporationが作業を引き継ぎ、1995年に同社の第1作として世に出します。1997年にはセガサターンへ移植され、『究極タイガーII PLUS』となりました。

(英語)英語版ウィキペディア「Twin Cobra」の「Legacy」より

揉め事(1件)

日本では『ゲームマシン』が1988年1月1日号で、本作をその月のテーブル筐体の売り上げ第4位に挙げました。『Thundercade』や『レインボーアイランド』(海外名『Rainbow Islands: The Story of Bubble Bobble 2』)を上回る成績です。

(英語)英語版ウィキペディア「Twin Cobra」の「Reception」より

由来(1件)

『究極タイガー』をはじめ、東亜プランの多くの権利は、現在Tatsujinが持っています。同社は『TATSUJIN』の日本での題名から名を取った会社です。2017年に東亜プランの元社員である弓削雅稔氏が設立し、2022年からはEmbracer Groupの一員となっています。

(英語)英語版ウィキペディア「Twin Cobra」の「Legacy」より

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出典:独立行政法人国立美術館国立アートリサーチセンター「メディア芸術データベース」(https://mediaarts-db.artmuseums.go.jp/)を加工して作成
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