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スーパーファミコン分析弟切草弟切草に残っている話
残っている話

弟切草に残っている話

日本語版・英語版ウィキペディアの記事から、このゲームタイトルについて書かれた文を型ごとに集めました(2026年8月30日時点)。

人の話(16件)

新しい客層を取り込もうと、チュンソフトは作りを絞ったゲームを開発しました。遊ぶ人は、選択肢で物語の分かれ道を選ぶだけで話を進めます。同社はのちに、この種のゲームを「サウンドノベル」と呼びました。

(英語)英語版ウィキペディア「Otogirisō」の「導入」より

本作のディレクターである中村光一氏は、以前に『ドラゴンクエスト』の最初の3作の開発に携わっていました。当時は、ゲームを遊ばない女性と付き合っていたと振り返っています。

(英語)英語版ウィキペディア「Otogirisō」の「Production」より

プログラマーのマナブ・ヤマナ氏によると、サウンドノベルの案が出る前、開発陣は別のゲームを試していました。『ドラゴンクエスト』『シムシティー』(1989年)『ポピュラス』(1989年)の要素を併せ持つもので、氏は「まるでうまくいかなかった」といいます。

(英語)英語版ウィキペディア「Otogirisō」の「Production」より

彼は、そうすれば「誰でも手に取れて、いつかほかのゲームを遊ぶきっかけにもなるかもしれない」ゲームになると述べました。

(英語)英語版ウィキペディア「Otogirisō」の「Production」より

中村氏によると、『弟切草』の物語は当初の想像より大きく膨らみました。話の流れが適切かどうか、効果音が物語の正しい場面で鳴るかどうかを確かめる作業は、そのぶん難しくなりました。

(英語)英語版ウィキペディア「Otogirisō」の「Production」より

中村氏は、当時の日本はバブル景気だったため、発売元になるための資金を集めやすかったと述べました。

(英語)英語版ウィキペディア「Otogirisō」の「Release」より

『Super Play』のリック・ヘインズ氏は、本作が日本で「かなりよく」売れたと書いています。中村氏によれば、当初の販売はおよそ12万本でした。

(英語)英語版ウィキペディア「Otogirisō」の「Release」より

チュンソフトは10月に発売を延期すると発表し、1999年2月に改めて、3月25日に発売すると告知しました。

(英語)英語版ウィキペディア「Otogirisō」の「Release」より

中村氏は2006年の取材で、本作のPlayStation版はおよそ10万本を売り上げたと述べました。

(英語)英語版ウィキペディア「Otogirisō」の「Release」より

スーパーファミコン版の発売時、『週刊ファミ通』の4人の評者は、『弟切草』は好き嫌いが大きく分かれるとし、評価が難しいと述べました。

(英語)英語版ウィキペディア「Otogirisō」の「Reception」より

『週刊ファミ通』のユタカ・ノグチ氏は、のちに本作について書きました。画面は簡素で、そのぶん「異例なほど抑えた作り」になっているといいます。

(英語)英語版ウィキペディア「Otogirisō」の「Reception」より

Bag Koji氏は、『Sound Novel Evolution』三部作の中で、本作をいちばんの一本に選びました。

(英語)英語版ウィキペディア「Otogirisō」の「Reception」より

1994年の『かまいたちの夜』のレビューで、『ファミコン通信』のレビュアーが述べています。『弟切草』に影響を受けたゲームは数多く出たものの、その大半はただの焼き直しにすぎないといいます。

(英語)英語版ウィキペディア「Otogirisō」の「Legacy」より

日本のパソコンでは、1988年の(原文に語が欠けている)以降、ノベル形式と呼ばれるゲームが存在していました。ただしコヤマ氏によれば、現在のノベル形式のゲームに直接影響を与えたのは2本です。『弟切草』と、チュンソフトの『かまいたちの夜』です。

(英語)英語版ウィキペディア「Otogirisō」の「Legacy」より

研究者のコ・オン・チャン氏は、『弟切草』と『かまいたちの夜』で使われたこの形式について述べています。画面により多くの文章を載せられるようになり、効果音とイラストによって読む体験が強まったといいます。

(英語)英語版ウィキペディア「Otogirisō」の「Legacy」より

ジロウ・イシイ氏は、チュンソフトの『428: Shibuya Scramble』(2008年)を手がけたゲーム開発者です。同氏は、『弟切草』がアドベンチャーゲームに「ループ構造」と呼ばれる新しい構造を作ったと述べています。

(英語)英語版ウィキペディア「Otogirisō」の「Legacy」より

数の話(8件)

本作は30万本以上を売り上げ、1999年にはPlayStation向けへの移植のほか、漫画化および小説化された。

ゲーム誌『ファミコン通信』のクロスレビューでは、6・6・7・6の合計25点(満40点)、『ファミリーコンピュータMagazine』の読者投票による「ゲーム通信簿」での評価は以下の通りとなっており、23.45点(満30点)となっている。

この得点はスーパーファミコン全ソフトの中で28位(323本中、1993年時点)となっている。

その他、『SUPER FAMICOM Magazine』1993年8月情報号特別付録の「スーパーファミコンオールカタログ'93」巻末に収録されている「部門別ベスト30」では、総合28位、音楽・効果音10位、操作性30位、オリジナリティ7位を獲得している。

本作は約30万本を売り上げました。

(英語)英語版ウィキペディア「Otogirisō」の「導入」より

『Super Play』のリック・ヘインズ氏は、本作が日本で「かなりよく」売れたと書いています。中村氏によれば、当初の販売はおよそ12万本でした。

(英語)英語版ウィキペディア「Otogirisō」の「Release」より

本作は最終的に30万本以上を出荷しています。

(英語)英語版ウィキペディア「Otogirisō」の「Release」より

中村氏は2006年の取材で、本作のPlayStation版はおよそ10万本を売り上げたと述べました。

(英語)英語版ウィキペディア「Otogirisō」の「Release」より

初と唯一(4件)

新しい客層を取り込もうと、チュンソフトは作りを絞ったゲームを開発しました。遊ぶ人は、選択肢で物語の分かれ道を選ぶだけで話を進めます。同社はのちに、この種のゲームを「サウンドノベル」と呼びました。

(英語)英語版ウィキペディア「Otogirisō」の「導入」より

本作のディレクターである中村光一氏は、以前に『ドラゴンクエスト』の最初の3作の開発に携わっていました。当時は、ゲームを遊ばない女性と付き合っていたと振り返っています。

(英語)英語版ウィキペディア「Otogirisō」の「Production」より

本作は、チュンソフトが自ら発売した最初のゲームとなりました。チュンソフトはそれまで、エニックスなどの会社に発売を頼っていました。

(英語)英語版ウィキペディア「Otogirisō」の「Release」より

2023年に出た書籍『History of the Japanese Video Game Industry』で、ユウスケ・コヤマ氏が書いています。日本では1980年代後半に多くのアドベンチャーゲームが発売されましたが、1989年を境に本数は急減しました。その後に出たのは、ミステリーを題材にした作品や、漫画・アニメのキャラクターが登場する作品がわずかにあるだけでした。

(英語)英語版ウィキペディア「Otogirisō」の「Legacy」より

難しさ(3件)

スーパーファミコンでの発売にあたり、『週刊ファミ通』のレビュアーは本作を評価しにくい作品だとしました。それでも、アドベンチャーゲーム好きには勧めています。

(英語)英語版ウィキペディア「Otogirisō」の「導入」より

中村氏によると、『弟切草』の物語は当初の想像より大きく膨らみました。話の流れが適切かどうか、効果音が物語の正しい場面で鳴るかどうかを確かめる作業は、そのぶん難しくなりました。

(英語)英語版ウィキペディア「Otogirisō」の「Production」より

スーパーファミコン版の発売時、『週刊ファミ通』の4人の評者は、『弟切草』は好き嫌いが大きく分かれるとし、評価が難しいと述べました。

(英語)英語版ウィキペディア「Otogirisō」の「Reception」より

当初は違った(1件)

本作の開発の経緯は、チュンソフトは当初はRPGを作成しようと検討していたが、容量の問題で実現できなかった。

中止と回収(1件)

本作のディレクターである中村光一氏は、以前に『ドラゴンクエスト』の最初の3作の開発に携わっていました。当時は、ゲームを遊ばない女性と付き合っていたと振り返っています。

(英語)英語版ウィキペディア「Otogirisō」の「Production」より

評判(1件)

彼は本作を、ビデオゲームというより小説に近いと見ました。それでも『弟切草』を高く評価しています。どう受け取られるにせよ、本作はゲームデザインを一歩前へ進めています。その一歩を踏み出しただけでも勇気が要ったといいます。

(英語)英語版ウィキペディア「Otogirisō」の「Reception」より

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