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ファミコン分析QバートQバートに残っている話
残っている話

Qバートに残っている話

日本語版・英語版ウィキペディアの記事から、このゲームタイトルについて書かれた文を型ごとに集めました(2026年8月30日時点)。

人の話(12件)

『Video Games』のニール・テッサー氏も、『Qバート』を1980年代前半に日本で発売されたゲームになぞらえました。『パックマン』や『ドンキーコング』です。キャラクターやアニメーション、筋書きに重きを置いている点と、「暴力が無い」点が理由でした。

(英語)英語版ウィキペディア「Q*bert」の「Reception」より

『Video Games Player』は1983年、アーケードゲームのなかで本作を「Funniest 年間ベストゲーム」に選びました。

(英語)英語版ウィキペディア「Q*bert」の「Reception」より

同誌は、プレイヤーがQバートに親しみを持ちやすいと述べました。とくに、Qバートが悪態をつくからです。

(英語)英語版ウィキペディア「Q*bert」の「Reception」より

『High Score!』の著者たちは、Qバートを「とびきり愛らしい、跳ねる宇宙人の名人」と呼びました。1982年でいちばんかわいいゲームのキャラクターだ、ともしています。

(英語)英語版ウィキペディア「Q*bert」の「Reception」より

『Electronic Fun with Computers & Games』のランディ・ハッカー氏は、本作を「見事な移植」と呼びました。『Computer and Video Games』は1989年、Atari VCS版に70%の評価を付けています。

(英語)英語版ウィキペディア「Q*bert」の「Ports」より

『Antic』誌のデビッド・デュバーマン氏は、Atari 8ビット版を高く評価しました。「アーケードゲームを家庭用パソコンへ移した例として、最上級のひとつ」だとしています。『Creative Computing』のアーサー・レイエンバーガー氏は、同機種向けの「最優秀アーケード移植」の次点に本作を挙げました。グラフィック、音、動き、遊びやすさが原作に忠実だという評価です。

(英語)英語版ウィキペディア「Q*bert」の「Ports」より

『Modojo』のロバート・ファルコン氏は、従来の方向キーが付いた携帯電話について述べました。斜め方向の操作に慣れるまでには、時間がかかるとしています。

(英語)英語版ウィキペディア「Q*bert」の「Ports」より

IGNのジェレミー・ダナム氏と『GameSpot』のジェフ・ガーストマン氏は、体を動かす操作を楽しめませんでした。本作は懐かしさを求めるプレイヤーだけのものだ、というのが2人の評価です。

(英語)英語版ウィキペディア「Q*bert」の「Ports」より

『GameSpot』のジェフ・ガーストマン氏は、『Qバート』が残したものを語りました。本作を「まれに見るアーケードの成功例」と呼んでいます。

(英語)英語版ウィキペディア「Q*bert」の「Legacy」より

2014年、Qバートは、スーパーボウルXLVIIIで流れたRadioShackのCM「The '80s Called」に、ちらりと登場しました。

(英語)英語版ウィキペディア「Q*bert」の「In other media」より

ドリス・セルフ氏は、ギネス世界記録に「最高齢の女性競技ゲーマー」として認定された人物です。1984年、58歳のときに『Qバート』の大会記録となる約110万点を出しました。

(英語)英語版ウィキペディア「Q*bert」の「High scores」より

マーク・キャプラン氏は、ソニー・ピクチャーズ エンタテインメントの副社長です。消費者向け商品と、全世界の販売・流通を担当しています。同氏によれば、今回の発売のきっかけは「『Qバート』への関心がふたたび高まったこと。公開されて間もないアニメ映画『シュガー・ラッシュ』(原題『Wreck-It Ralph』)での客演も、その一因だ」というものでした。

(英語)英語版ウィキペディア「Q*bert」の「''Q*bert Rebooted''」より

評判(7件)

同氏は、効果音の豊かさとグラフィックを評価しました。色づかいは鮮やかだとしています。

(英語)英語版ウィキペディア「Q*bert」の「Reception」より

『Computer and Video Games』誌は、本作のグラフィックと色づかいを評価しました。

(英語)英語版ウィキペディア「Q*bert」の「Reception」より

著述家のジョン・セラーズ氏も、Qバートはやみつきになると評しました。効果音と、立体的に見えるグラフィックも評価しています。

(英語)英語版ウィキペディア「Q*bert」の「Reception」より

批判されたのは、音楽が無いこと、UggとWrongwayというキャラクターが削られたことです。本体がキャラクターの表示を安定して処理できないことも指摘されました。

(英語)英語版ウィキペディア「Q*bert」の「Ports」より

『Softline』はもっと手厳しく、Atari版の操作と、悪態が無いことを批判しました。

(英語)英語版ウィキペディア「Q*bert」の「Ports」より

評者の多くは、本作をアーケード版に忠実な移植だと認めました。いっぽうで、操作については批判しています。

(英語)英語版ウィキペディア「Q*bert」の「Ports」より

『Airgamer』は、遊びが単調だと批判しました。難易度についても、いらだたしいとしています。

(英語)英語版ウィキペディア「Q*bert」の「Ports」より

数の話(6件)

『Electronic Fun with Computers & Games』のランディ・ハッカー氏は、本作を「見事な移植」と呼びました。『Computer and Video Games』は1989年、Atari VCS版に70%の評価を付けています。

(英語)英語版ウィキペディア「Q*bert」の「Ports」より

『Computer and Video Games』は、ColecoVision版に72%の評価を与えました。

(英語)英語版ウィキペディア「Q*bert」の「Ports」より

Gottliebが製造したのは、900台に満たない数でした。いっぽう日本では、『Game Machine』が1983年6月1日号で『Q*bert's Quest』を取り上げています。その年で2番目に好調なピンボール機だとしました。

(英語)英語版ウィキペディア「Q*bert」の「In other media」より

1983年11月28日、ロブ・ゲルハート氏が『Qバート』の長時間プレイで約3300万点の記録を打ち立てました。

(英語)英語版ウィキペディア「Q*bert」の「High scores」より

ドリス・セルフ氏は、ギネス世界記録に「最高齢の女性競技ゲーマー」として認定された人物です。1984年、58歳のときに『Qバート』の大会記録となる約110万点を出しました。

(英語)英語版ウィキペディア「Q*bert」の「High scores」より

セルフ氏の記録は1987年6月27日、ドリュー・ゴインズ氏が約220万点で塗り替えました。

(英語)英語版ウィキペディア「Q*bert」の「High scores」より

初と唯一(5件)

デイビス氏は、1982年4月にプログラムを書き始めたと振り返っています。ただし、この企画が実際の製品として日程に載ったのは、数か月あとのことでした。

(英語)英語版ウィキペディア「Q*bert」の「Implementation」より

本作が業界の広い層に初めて披露されたのは、1982年11月のAMOAショーです。報道陣はその場で好意的に受け止めました。

(英語)英語版ウィキペディア「Q*bert」の「Reception」より

Parker Brothersはまず、Atari 2600への移植版を発売しました。1983年の終わりまでには、Atari 5200、Intellivision、ColecoVision、Atari 8ビットパソコン、VIC-20、TI-99/4A、Commodore 64向けの版も広告に載せています。

(英語)英語版ウィキペディア「Q*bert」の「Ports」より

IGNのジェレミー・ダナム氏と『GameSpot』のジェフ・ガーストマン氏は、体を動かす操作を楽しめませんでした。本作は懐かしさを求めるプレイヤーだけのものだ、というのが2人の評価です。

(英語)英語版ウィキペディア「Q*bert」の「Ports」より

1本目は『Q*bert's Qubes』です。タイトル画面には1983年の著作権表示が出ますが、説明書には1984年と書かれています。

(英語)英語版ウィキペディア「Q*bert」の「''Q*bert's Qubes''」より

難しさ(2件)

『Airgamer』は、遊びが単調だと批判しました。難易度についても、いらだたしいとしています。

(英語)英語版ウィキペディア「Q*bert」の「Ports」より

デイビス氏は、元のゲームは簡単すぎると考えていました。そこで1983年、『Faster Harder More Challenging Q*bert』の開発を始めます。難易度を上げ、Q*berthaを登場させ、ボーナス面を加えた作品です。

(英語)英語版ウィキペディア「Q*bert」の「''Faster Harder More Challenging Q*bert''」より

バグと裏技(1件)

しかし1983年、ビデオゲームの大暴落が市場を冷え込ませました。『Qバート』の人気も、1984年には下がり始めます。

(英語)英語版ウィキペディア「Q*bert」の「Market impact」より

揉め事(1件)

Gottliebが製造したのは、900台に満たない数でした。いっぽう日本では、『Game Machine』が1983年6月1日号で『Q*bert's Quest』を取り上げています。その年で2番目に好調なピンボール機だとしました。

(英語)英語版ウィキペディア「Q*bert」の「In other media」より

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