日本語版・英語版ウィキペディアの記事から、このゲームタイトルについて書かれた文を型ごとに集めました(2026年8月30日時点)。
1999年にスーパーファミコン版のリメイクがニンテンドウパワーで発売される予定だった。
当初は7×5に区切られたマスの上を歩くキャラクターを誘導してゴールを目指すゲームとして開発されていたが、原案者が途中で参加しなくなったため、田尻が仕切り直して製作することとなった。
」への改題を経ても続けられ、1995年7月号で連載終了。
スーパーファミコン向けのリメイクも計画され、ニンテンドウパワーで配信し、のちにWiiのバーチャルコンソールでも出す予定でした。しかし発売には至りませんでした。
ゲーム誌『ファミコン通信』の「クロスレビュー」では合計27点(満40点)、『ファミリーコンピュータMagazine』の読者投票による「ゲーム通信簿」での評価は以下の通りとなっており、21.41点(満30点)となっている。
本作は日本で67,938本、アメリカでおよそ6万本を売り上げ、世界ではおよそ(原文に数字なし)本になりました。
製作は開発機材の自作からスタートし、数々の苦難を経て3年の月日をかけて完成した、ファミリーコンピュータ用ゲーム史上初めて商業発売されたインディーゲームである。
当時双葉社から発売されていた攻略本「クインティ必勝攻略法」では、裏面はアーケードゲーム感覚でハイスコアをめざして遊んでほしいという主旨の開発者コメントが掲載されている。
田尻氏は、自分の雑誌『Game Freak』の号をまるごと、いちばん好きなアーケードゲーム『ゼビウス』(1983年)だけに費やしたことがありました。そのため『Quinty』は、『ゼビウス』をはじめ、かわいらしく色鮮やかなアーケードゲームを何本も作ってきたナムコから、日本で出したいと考えていました。
2003年、東京都写真美術館がファミコンのソフト群を並べた展示を行い、『Quinty』を「80年代オタク文化の最終到達点」という言葉とともに取り上げました。1画面のなかで完結する簡素な操作は、「まぎれもなく昔ながらの作り」と評されています。
スーパーファミコン向けのリメイクも計画され、ニンテンドウパワーで配信し、のちにWiiのバーチャルコンソールでも出す予定でした。しかし発売には至りませんでした。
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