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ファミコン分析ロックマン3 Dr.ワイリーの最期!?ロックマン3 Dr.ワイリーの最期!?に残っている話
残っている話

ロックマン3 Dr.ワイリーの最期!?に残っている話

日本語版・英語版ウィキペディアの記事から、このゲームタイトルについて書かれた文を型ごとに集めました(2026年8月30日時点)。

人の話(9件)

稲船氏は、開発の最後の2か月がとりわけ荒れていたと振り返っています。締め切りを守れない仲間たちの作業を見極め、割り振り直す責任を、自分が負わなければならなかったからです。

(英語)英語版ウィキペディア「Mega Man 3」の「Development」より

稲船氏はこう締めくくっています。「磨き上げる時間がもっとあれば、多くのことをもっとうまくやれて、もっといいゲームにできたとわかっていた。だが会社は、出さなければならないと言ったんだ」

(英語)英語版ウィキペディア「Mega Man 3」の「Development」より

藤田晴美氏は「Mrs. Tarumi」名義で記載され、本作の最初の作曲者を務めました。しかし数曲を仕上げたところで出産を迎え、企画から離れることになりました。

(英語)英語版ウィキペディア「Mega Man 3」の「Development」より

IGNのトーマス氏、『GameSpot』のクリスチャン・ナット氏とジャスティン・スピア氏、『Dragon』のハートリー氏、パトリシア氏、カーク・レッサー氏(「The Lessers」)、『Eurogamer』のダン・ホワイトヘッド氏、そしてエドワード・J(原文はここで切れている)

(英語)英語版ウィキペディア「Mega Man 3」の「Reception」より

ナット氏とスピア氏は、『ロックマン3 Dr.ワイリーの最期!?』を「一級品のゲーム」であり、カプコンによる「NESでの取り組みの頂点」だとまとめました。

(英語)英語版ウィキペディア「Mega Man 3」の「Reception」より

『GamePro』の寄稿者マッキンリー・ノーブル氏は、「歯を抜くこと、車を頭上に持ち上げること、心臓の切開手術をすること」は、どれも『ロックマン3 Dr.ワイリーの最期!?』をクリアするよりはるかに簡単だと、おどけて述べています。

(英語)英語版ウィキペディア「Mega Man 3」の「Reception」より

EGMは1991年の『Video Game Buyer's Guide』で、『ロックマン3 Dr.ワイリーの最期!?』を「既存作の続編として最良」に挙げました。

(英語)英語版ウィキペディア「Mega Man 3」の「Reception」より

『Nintendo Power』の読者は、同誌のその年の「Nintendo Power賞」で、本作を1990年のゲームの第3位に選びました。

(英語)英語版ウィキペディア「Mega Man 3」の「Reception」より

IGNは「史上最高のNESゲーム100選」で、本作を16位に入れました。

(英語)英語版ウィキペディア「Mega Man 3」の「Reception」より

初と唯一(5件)

絵と設計を手がけた稲船敬二氏は、シリーズの最初の2作とは違い、『ロックマン3 Dr.ワイリーの最期!?』作りはとても負担が大きかったと語っています。開発中は時間が足りず、自分の受け持つ責任も増えていたためです。

(英語)英語版ウィキペディア「Mega Man 3」の「導入」より

カプコンがこうしたのは、ロックマンの英語名と揃えるためだけではありません。ブルースという名前では意味が通らないと考えたからでもあります。

(英語)英語版ウィキペディア「Mega Man 3」の「Development」より

藤田晴美氏は「Mrs. Tarumi」名義で記載され、本作の最初の作曲者を務めました。しかし数曲を仕上げたところで出産を迎え、企画から離れることになりました。

(英語)英語版ウィキペディア「Mega Man 3」の「Development」より

『ロックマン3 Dr.ワイリーの最期!?』は、1990年にNESで登場して以来、多くのゲーム機やそのほかの機器で発売されてきました。

(英語)英語版ウィキペディア「Mega Man 3」の「Legacy」より

任天堂のアーケード機PlayChoice-10の作品群のうち、『ロックマン』シリーズから入っているのは本作だけです。

(英語)英語版ウィキペディア「Mega Man 3」の「Legacy」より

数の話(2件)

ゲーム誌『ファミコン通信』の「クロスレビュー」では合計23点(満40点)、『ファミリーコンピュータMagazine』の読者投票による「ゲーム通信簿」での評価は以下の通りとなっており、23.52点(満30点)となっている。

2年前に出た『ロックマン2 Dr.ワイリーの謎』の成功を受けて、『ロックマン3 Dr.ワイリーの最期!?』は108万本を売り上げ、批評でも好意的に迎えられました。

(英語)英語版ウィキペディア「Mega Man 3」の「導入」より

揉め事(2件)

プロトマンの元の日本名であるブルースは、稲船氏の反対にもかかわらず、カプコンの北米部門によって変えられました。

(英語)英語版ウィキペディア「Mega Man 3」の「Development」より

同誌は2008年の創刊20周年号で、『ロックマン3 Dr.ワイリーの最期!?』をNESのゲームの第11位に挙げました。

(英語)英語版ウィキペディア「Mega Man 3」の「Reception」より

海外との違い(2件)

プロトマンの元の日本名であるブルースは、稲船氏の反対にもかかわらず、カプコンの北米部門によって変えられました。

(英語)英語版ウィキペディア「Mega Man 3」の「Development」より

本作のNES版は、シリーズ10作をまとめた北米向けの『Mega Man Anniversary Collection』にも収められました。この作品集は2004年にPlayStation 2とゲームキューブ向けに、2005年にXbox向けに発売されています。

(英語)英語版ウィキペディア「Mega Man 3」の「Legacy」より

当初は違った(1件)

本作は『ロックマン』シリーズの3作目にあたり、日本では1990年9月28日に発売されました。

(英語)英語版ウィキペディア「Mega Man 3」の「導入」より

評判(1件)

本作は見せ方とゲーム内容がとくに称賛されました。ただし、難しすぎるとした媒体も多くありました。

(英語)英語版ウィキペディア「Mega Man 3」の「導入」より

難しさ(1件)

本作は見せ方とゲーム内容がとくに称賛されました。ただし、難しすぎるとした媒体も多くありました。

(英語)英語版ウィキペディア「Mega Man 3」の「導入」より

中止と回収(1件)

稲船氏は、開発の最後の2か月がとりわけ荒れていたと振り返っています。締め切りを守れない仲間たちの作業を見極め、割り振り直す責任を、自分が負わなければならなかったからです。

(英語)英語版ウィキペディア「Mega Man 3」の「Development」より

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